田中 じんです。42歳になりました。

僕は大阪生まれの熊本で育ち、高校卒業後、熊本から東京へ、そして大阪と田舎と都会の生活を繰り返してきました。

 

高校卒業後、どうしてもニューヨークを見たく..
夏は土木会社で働き、冬は飲食店でアルバイトという生活。

夏は土木屋で巨大な穴をスコップ片手に掘ってました。

飲食店は掛け持ちでがんばって、未だに調理でマズいと言われたことはないんですよ。

おかげで渡航費用もすぐ貯まりました。

ニューヨークは半年ほどの生活、その後アメリカ国内を旅しカナダへと英語が全く話せず、ホント苦労しました(笑)

 

帰国後、目標も視えないままフラフラと貯金を喰いつぶす、焦りと暗闇の毎日。

あまりにも暇だと最終的にお金がかからない、公園とかで時間をもて遊んじゃうんですよね。

ホント、ムダな時間だったと思ってたのですが、今考えればあの時こそが”人生の転機”でした。

公園でまぁそこそこのご老人と顔見知りになり、僕の暇さ加減に見かねたのか、公園の整備を手伝わせられてたのですが‥

そのご老人がとても経済界では有名な方で坂田氏というんですが、その方が顧問する財閥系の商社へ就職が果たせたんです。まさに一期一会です。

 

拾ってもらった恩と結婚を機に、仕事を必死でがんばる。

坂田氏からは毎日、僕に経営哲学や道徳的なことを教えてくださいました。僕はずっとそういう事に疎かったように思えます。

”彼のようになりたい”と現在も目指してますがまだまだです(笑)

 

独立のため恩師から離れ引越会社を営みながらニートへの独立支援を行う。

今までの自分を試したくなり、経営者になることを目的に商社を退職しました。今思えばとても無謀だったなぁと‥でも不確かな確信みたいなものがありました。

その後十数年なんとか安定し続けることができましたが、人生の障壁を前に積み重ねてきたほぼすべてを失い、精神疾患とその時起した外傷で明日が視えない状態でした。

 

「上を見てもキリはないが下を見てもキリがない」起死回生を目指し、裸一貫、今の自分にできることを始める。

当時、失望から抜け出せず周囲を羨むばかりでした。近所のホームレスの方と仲良くなり、接するうちに気付きました。ハッとさせられたんですね。

このままではダメだ、心が弱い自分だってできる事があるんじゃないか考えなきゃって。

「一度は人生を諦めたんだから、余った人生は誰かのために使いたい」これが僕の現在も変わらないテーマです。

人の縁を通じ、経営コンサルを経て、ボランティア団体を起ち上げ、障がい者就労支援事業所も起こす事ができました。

現在では大切な人たちと動物愛護団体の理事を務めながら、大学で心理学を追い求め、そして精神障害者の方々へカウンセラーとして日々、課題に取り組んでます。

 

人生は一期一会だと思います。こんなにも長い文を読んで頂いたあなたに本当に感謝してます。

そしてこれを書いた僕は今、生きてる田中じんです。

感じてくださいね、僕があなたの役に立ちたい事を‥。

LINEで送る
[`evernote` not found]